Lean Baseball

No Engineering, No Baseball.

39年目の過ごし方-30代のふりかえりと40までにやりたいこと

38歳最後の日(昨日)は嬉しいこととヤバイ事重なりでドタバタでした...

写真は最近一番良く撮れた趣味プログラミングの様子です.

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本日(9/6)でめでたく39歳を迎えました.

いきなりで恐縮ですが、例のリストはここにあるので色々とお待ちしております :bow:

個人的には来年新譜が出る(らしい)MUSEの予習がしたいです*1

30歳になった頃(9年前)は、

「40迎えたらもうちょっとオッサンになって落ち着いてるのかなあ?」

と漠然に思っていたような記憶がありますが、

  • 落ち着くどころか趣味も仕事もエンジョイしている
  • 特に仕事、夢を見ていた「野球のエンジニア」になる
  • 人間関係や活動の幅が20代とは段違いに広がった
  • 出来る仕事が増えた、年収も大分上がった
  • なお、独身な模様

と、思わぬ方向に進みましたが全体的に(独身な事を除き)順調な気がします.

正直言うと、「30代のうちにやり残したこと」は結婚(の前の相方探し)と今の野球の仕事を成功させるぐらいしか無いので、

  • 30代のふりかえり
  • 40代に向けての準備(39歳の過ごし方)

を整理しようと思います.

TL;DR

  • 父に言われた「30代の過ごし方が人生を決める」に素直に愚直に従った結果、確かに人生決めるような結果が色々と出てきた
  • やってないことにチャレンジしたり、新しいことをはじめたり...が血肉になり次のキャリアに数珠つなぎにつながった
  • 「野球のエンジニアになる!」は自然発生的に夢として出てきた→3年(準備含めると5年)でモノになった
  • 39歳は野球の世界(仕事)にどっぷり入りつつ、40代の準備(新開発テーマ・健康・第二のキャリア)を着実にしていきたい
  • 健康に気をつける、相方を作る

30代のふりかえり

全てを決めた、「父のひと言」

30歳になった9年前、仕事か何かで上京していた父とお酒を酌み交わしていたとき(または実家かもしれない、うろ覚え)に、

「(仕事の人生・男の人生は)30代でどれだけやり切れるかが勝負」

「40代以降の仕事・人生は30代で積んだ徳で決まる」

と言われ、これがずっと心に刻まれています。

(ここでは細かい話は避けますが)父は30代でとにかく自分の仕事・世界に没頭し、その分野では間違いなく路を作った人なので、素直にこの言葉が刺さりました。*2

正確になんて言ってたかは覚えていませんが、父が伝えたいメッセージ・ニュアンスは間違いなく息子(私)はちゃんと腹落ちして伝わってると思いますし、そのバトンをついで30代を走ってると勝手に思ってます。

(これは自信を持って言える)

育ててくれた両親、応援してくださった周りの方々と感謝する人たちは334人以上は居ますが、

30代は父の言葉に救われた年代であり、何度感謝しても感謝しきれないな!ってぐらい感謝しています

各年代のできごと

33までは箇条書き、34以降はブログに残ってるものはそのリンクで.

30〜34歳(2009〜2013)

  • 20代後半に患った心の病から復帰
  • 努めていたコンサルで新しいお客様と出会う→思想・仕事・技術などすべての事でブレイクスルーが起こる
  • 仕事が業務系SEからWebエンジニアへ(Java→Ruby)
  • アジャイル・スクラムと本格的に出会う、覚えて運用を始める
  • 大好きなバンド「blur」の追っかけで人生初の海外旅行をキメる「シンガポール経由ロンドン行き」
  • バンドの追っかけで趣味(音楽フェス行き)は控えめにしようと決意→30代を本気で働き結果出すための自分作りに入る
  • 仕事で出会ったPythonにハマる(これも大きなブレイクスルー)

35歳(2014)

このブログが始まる→最初の記事で無事炎上で2014年が開幕する(意味深)

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そのちょっと後に10年勤めていたコンサル(ベイカレント)を退職し、リクルート(SUUMO)にJOIN

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ちょっと前の2013年頃からやっていた「野球データ分析」が本格的に世に出る(PyCon JP 2014登壇)

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このブログで地味に読まれているセイバーメトリクスまとめはこの年に書いた(当時は当たらず)

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趣味は、、、ちょっとだけフェス行ったり、来日したblurを観に行ったり等など.

36歳(2015)

野球エンジニアはコミュティで一人(当時)にもかかわらず、コミュティ代表としてパネルディスカッションに出て2015年が開幕

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コードが書けない仕事が多く(のとまた心が病んで仕事を休んだり)、辛かったのか趣味の野球コーディングがハマる→ホットエントリーが量産される

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ちなみに30ブクマ以上のエントリーが6本、これらの上澄みでPyCon JP 2015に登壇→爆発的にヒットする

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「やっぱコード書きたいしPythonやりたい」と思い、PyCon JP直後に転職活動とかを始め、翌年ビザスクにJOIN

37歳(2016)

この年はバタバタしていたのかブログが少ない...

2月、ビザスクにJOIN

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念願のPythonistaな仕事もしつつ、色々やった(エンジニア以外も)

この辺から徐々にフリーペーパーやお願いされての登壇など、外の活動が増える

今の野球の仕事(ネクストベース)につながったな!と思ったエントリーがこれ

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データや技術ノウハウを用いた客観的な視点・分析が世の中で勝てる!と自信を持つ

この流れでPyCon JP 2016も発表

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これも部分的には今につながっている

一方、Pythonも学び方や視点というニュアンスで大きな進歩があった

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色々やってく内に、リクルート、ビザスクと慌てて転職して思うところあったので、自分探しに近い視点で半年かけて転職活動

今までの人同士の繋がりやきっかけがあり、とてもいい形でRettyと出会う.

年末、ビザスクを退職

38歳(2017)

こんにちはRetty

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仕事は最初マネジメント、退職前はガッツリエンジニアな仕事.

採用・広報から何から何まで色々やらせてもらった&結果もちょいちょい出てよかった.

Pythonもくもく自習室(#rettypy)仲間の竹野くん・岩永さんと熊本で一発やってきたのはすごく良かった

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野球ネタはこれが大当たり、これは狙って打ったホームラン(ホットエントリー)なのでとても嬉しい

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四回目のPyCon JPも大当たり、後日アンケートを見たら一般トークの「面白かったトーク」第一位だった(自分より上は基調講演とLTのみ)

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「野球のエンジニアになりたいんや!」と言い続けて結果が出たのもこの歳

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振り返ってみると

30代前半(ロンドン行く前)は遊びに徹し、以降は今後の人生に向けた努力をしてきてよかったと思う.

人からは、

  • もっと落ち着け
  • 転職ばっかして大丈夫か
  • 自分の事に注力しすぎ(気持ち悪い)

ぐらいには言われたけど、結果すべからく上手く回って今があるので全くもって後悔はしていないです.

そんな意味では今日から39歳ですが、30代はもう終わりでこの一年は40に向けての助走期間ぐらいに捉えようかな、というアクションまで決まった.

ので、いい過ごし方だったと思います.

40代に向けて

各論はちゃんと計画するとして、

  • 野球の世界でぐうの音も言わせないような結果を出す
  • エンジニアとしてグローバルで働く.海外でプロダクトを売る、自分が海外に出るetc...
  • 今よりもっと稼げるエンジニア・ビジネスマンになる.「誠意は言葉よりお金」である*3
  • 流石に42くらいまでには結婚したいのでそれに向けて計画的に動く

これらを成し遂げるため、

  • 野球をもっと頑張る
  • 英語・数学を本格的にやる理由が出来たのでそっちにリソースを使う
  • 30代よりハードになると思う&もちろん年々身体は衰えるので過ごし方と健康に気を使う
  • 少なくとも39歳の一年間は不要な外部発表・執筆は控え一人インプットとアウトプットに没頭する

とりあえず、ふりかえりと抱負は以上です.

今後もよろしくね!

*1:最近の仕事ミュージックがほぼMUSEでCDが欲しくなってきた

*2:なお、そんな事情で20代までは遊んだ記憶が微塵も?無いですって言ったら怒られるかもですが実際そうだし苦笑

*3:誰の発言かは察してほしい(意味深)