いよいよ退職エントリーを書くタイミングが来ましたこんにちは。
公私共に悲喜交交、人生ってホントよく動くよねっていうのを実感してる今日このごろです。
はじめに
2014年8月31日をもって、約10年半勤務した独立系ITコンサルタント企業*1を退職、9月1日から八重洲のWebサービス屋さん*2で新たなスタートを切ることになりました。
前職を振り返るその1「最初の5年(2004年〜2008年)」
独立系コンサルタント企業、、、当時は社名が変わる前独立系SIerだった前職に入社したのが2004年の1月。
当時24歳で、前の会社(独立系のSI)を辞めて一ヶ月、プラプラ遊んだ*3後、リクナビNEXTで一番最初に引っかかった会社に入ったのがキッカケでした。
面接の時は、、、プログラミングちょこっとできます、競馬が大好きで毎週新聞とにらめっこしてデータ解析*4して買ってます的な話で盛り上がったと記憶しています。
最初は契約社員(プロジェクト単位で契約)での入社、企業内基幹システムの二次請け三次請けぐらいの「IT土方」でしたが、お客様評価の向上、売り上げへの寄与とかそんな理由ですぐに正社員に切り替わりました*5。
途中の2007年からコンサルタント企業に生まれ変わりましたが、私の仕事は一貫してずっとSI、主に企業内の業務システム、公官庁系のシステム、Webサービスの構築を行っていました。
途中、自律神経失調症で休職したり、リーマンショックの煽りで幾度とピンチに陥ったりetc...色々ありましたが、「自分の商売はコレしか無い!」という根性論だけで2009年の出会い、そして30代を迎えることになりました。
あと、余談ですが、この頃に私のお家芸である「雑談力」「アジャイルな脳みそ」が生まれました。この頃はまだ大したことはなかったが。。。
前職を振り返るその2「R&D(研究開発)との出会い、人生が変わった瞬間(2009年〜2013年)」
そして忘れもしない、2009年の8月。5年前の出来事。
とあるクライアント、R&Dに特化したプロジェクトとの出会いで自分が大きく変わりました。
「ほんの少しだけRuby触ったこと有ります」ぐらいのスキルでのアサインにも驚いたのですが、何よりヤバかったのは、
研究員さんが言ってることの意味・考え方がサッパリわからない
もちろん、研究員さんが悪いのではなく、勉強不足の自分が悪い。
そしてさらに「なぜなぜ問答」的な議論、プロジェクトマネージメントや書いたコードの根拠を説明しなさい的な話になった時に何も説明できない私。
今までは何冊ものキングファイルにドキュメントを書き込んだり印刷したり的な仕事の後にコーディング、的な「レガシーな手法が正」と思っていただけにこれにはやられました。
生き抜く為には、結果を出すためには適応しなきゃ!と思った私は研究員さん、自社の社員、他のスタッフさん関係なく、色んなコミュニケーションを取って、少しでも考え方を吸収しよう、勉強しようと行動しました。
コーヒーメーカーのコーヒーを補充しながら会話、飲み会の幹事を率先して引き受けるetc...色々やりました。
あと、このエントリーも「行動」の一つだったりします。
成長したいエンジニアは良いエンジニアの本棚を真似るといいんじゃない? - Lean Baseball
そんな、生きるための行動に加え、当時携わっていたプロジェクトが一定の成功*6を収め、クライアントの評価も上がり、契約も延長になったり私の提案が通りやすくなったり*7という良い状況を迎え、会社とクライアント、そして私の三者がWin-Winの状態ができました。
この頃は本当にしんどかったけど、喜びも大きかったです。
転機
そして、今の自分を決める転機がやってきました。2年前(2012年)ですかね。
クライアントの中で「Lean Startupやるぞ」「Pythonやるぞ」という話で盛り上がり、研究員さん、そして私達、協力スタッフ共に知見もナレッジもない中、ゼロから勉強しながら実践するという素晴らしい機会がやってきました。
Pythonについてはみんなプログラミング大好き*8だったので、特に苦労はしませんでしたが、リーン・スタートアップの習得と実践には苦労しました。
プロジェクトメンバー全員で模造紙にLean Canvas書いたり、顧客インタビューのまね事をしたり。
それでもまだ腑に落ちなかった私は、消化してもらったリーン・スタートアップの勉強会に通うようになりました。
「どうやら野球、特に大好きなマネーボールはリンスタに近いよ」
というお話を受けた私は思いつきで「マネーボール×リンスタ」な発表もしたりしました。
リーンスタートアップを野球で解釈してみた – 第8回企業内Lean Startup勉強会 レポート(3) | ManasLink ONLINE
スライド(又はコード)を書いて、発表をして、フィードバックを貰って、ブログ等に記録を残す。
今の私がエンジニアとして大切にしている文化がここで生まれました。
また、この頃からリーン・スタートアップ勉強会の他、ISAC(http://tokyo.spaceappschallenge.org/、通称宇宙ハッカソン)*9やPython mini Hack-a-thon - connpassといったハッカソン、連載企画*10を通じて知った知のフリマ(http://www.ichicorp.biz/exektfrema/)など、手を動かし、しゃべり、フィードバックを貰う、といったイベントでの活動が増え、仕事そして会社以外の友達・知り合いが増えていきました。
その中で、
- エンジニアとは?
- テクノロジーとは?
- ビジネスとは?
といった議論が続く中で自分の考え・思い・夢がまとまってきました。
俺がやりたいことは今の会社じゃできない、飛び出さなきゃ。
と、考え始めたのが今年の年始であり、ここが最大の転機となりました。
前職を振り返るその3「転職と、最後のプロジェクト(2014年)」
そして今年(2014年)。
私的な事情*11で転職しようかどうしようかと悩み始めたタイミングで、
「エンジニアリーダーやらない?」
とありがたいお声を掛けてもらいました*12。
正直、迷いもありましたがオファーを受諾、退職に向けての行動を開始しました。
そんな中、最後のプロジェクトでは色々楽しいことをやらせて頂きました。
「この仕事をコンサルの集大成にする!」と決めていたので結構気合いも入ってたと思います。
お任せされたアウトプットを出すだけでなく、背景となる思想、考え方、エンジニアリングとは?
、、、という思いを込めて、プレゼンで説明したり、雑談がてら本や考え方をオススメしたりしました。
このへんは、R&Dをやっていた時代の知見がそのまま生きました。
5年前はサッパリだったのに、今度は自分が引っ張れるようになった事に成長実感を感じました。
また、クライアント・自社メンバー共々、色々思いはあったと思いますが最後までガッチリScrumを組んで一緒に走ってくれた事、仲間として受け入れてくれたことに感謝しています。
こうして無事、退職の日を迎え、笑顔でサヨナラを迎えました。
これから
最初に書かせて頂いたとおり、9月から八重洲のWebサービス屋さんでエンジニアとして新しい人生を歩みます。
今までは外注としてビジネスに携わってきましたが、これからは真逆になります。
エンジニアとしてのマインド、スキルを活かし、成長しつつ、
"まだ、ここにない出会い。"を創出していきたいと思っています。
次の夢、やりたいことに向けて*13。
さいごに
10年半という、かなり大きいバッチサイズ*14で自分を振り返ってみました。
こうして読み返すとやはり、R&Dをやってた頃の経験と出会い、キッカケが自分を変えたのだなと改めて実感しました。
前の自分のブログにもそう書いてありました。
僕が旅に出る理由〜今日までの自分、明日からの自分 | Lean Baseball
こうした出会い・キッカケがあったのも、前職、独立系コンサルタント企業のお陰です。
24歳から34歳という、体力・気力に満ち溢れたこの期間をコンサルとして過ごせたのは本当にいい思い出です。
本当にお世話になりました。
そして。
これから共に戦う仲間の皆様、どうぞよろしくお願いします!
エンジニアとして色々引っ掻き回してやろうぜ!
*2:このへんはお察しでよろしく
*4:当時は野球より競馬が大好きでした。ちなみに今は日本ダービー、天皇賞秋、ジャパンカップを府中で見に行く程度に毎週見てます(馬券は買わない)
*5:辞める話をチラつかせた効果もあったよな多分
*6:古地図アプリのこと
*7:自社のチームリーダーになって色々と改革、規模拡大と文化を形成したのは密かな自慢です
*8:この頃には私もいっぱしにコード書けるようになってました
*9:第一回目(2012)で賞をとりました。やったぜ。
*10:ManasLink - EM ONLINEで野球ネタを書いています。今年はまだ一本だけですが。。。
*11:ここでは省略
*12:本当に感謝してる。ありがとうございます!
*13:2020東京五輪でメダルをとる(お手伝い)と、プロ野球orメジャーリーグの球団幹部になる、北海道の若者にエンジニア魂を植えるetc...たくさんあります
*14:リーン・スタートアップ用語。仮説やMVPのサイズの事。日本語風に言うと「粒度」、トヨタ生産方式だと「一個流し」。成長スピードおよび学習効率の最適化、という意味では小さいバッチサイズにまとめるのが理想である(異論は認めない)。